平成26年10月27日 「ソーセージの歴史が繋がった第3回視察研修旅行 感動の2日目」

 2日目は、今回の視察研修会の1番の目的、㈲播州ハム工業所さんの視察です。

播州ハムさんは昭和25年、大木市蔵氏の門下生・和田義夫氏を工場長として迎え入れ、本場ドイツの伝統的手法によるハム造りを開始された事業所で、現在ではNIKKEIプラス1のなんでもランキング、ハムの部で1位に輝いた事業所です。

 早朝より仕込みが始まるとのことで、私たちも午前6時にホテルをチェックアウト、徒歩で播州ハムさんへ向かいます。途中開店の準備をしているお魚屋さんや八百屋さんがあり、このあたりは昔ながらの市場街のようです。
予定時刻の10分ほど前に到着してしまいましたので、周りを見渡していると堀田社長が出迎えてくれました。
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大木市蔵氏のお孫さんである大木公一さんと堀田社長の出会いはまさにソーセージの歴史が繋がる感動の瞬間でした(昨夜はその瞬間をカメラに収めようと話していましたが緊張で忘れてしまいました)。
簡単に挨拶をさせていただき、早速資料を見せていただきますと、貴重な資料がたくさん。大木ハムのラベルやパンフレット等大切にスクラップしてあります。またソーセージの歴史を知るうえで貴重な文献も揃っていました。

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やがて製造工程や創業以来使っているスモークハウス、燻煙の様子などつつみ隠さず見せていただきました。
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その後、社長のご自宅にて過去に放映されたビデオを見ながら、朝食を兼ねてハム・ソーセージの試食をさせていただきました。食べさせていただいた、ハム・ソーセージは大変美味しく、あのパキッと感はすごかったです。

午前10時頃だったでしょうか、試食・お話を終えまして、記念撮影をして播州ハムさんを後にし姫路城に寄り帰路につきました。

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視察を快く受け入れて下さいました、堀田社長、宏次郎さん、従業員の皆様、有意義な視察研修となり参加者全員感謝しております。この場をお借りしてお礼申し上げます。

お借りした資料は大切に保管し、11月16日(日)の横芝光町産業まつり後、お返しいたします。

ありがとうございました。

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平成26年10月26日 ソーセージの歴史が繋がった第1回視察研修旅行 1日目

 10月26日(日)、27日(月)と若手後継者等育成事業「第3回視察研修として、兵庫県に視察研修に行ってきました。

1日目はほとんど移動日、朝横芝駅を出発して大阪市阿倍野区に本年3月に完成した「あべのハルカス」へ。
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 あべのハルカスは「地上60階建て、高さ300mで、日本で最も高い超高層ビルであると同時に、日本初のスーパートール(300m以上、世界基準超高層ビル)である。また、日本国内の構造物としては東京スカイツリー(634m)、東京タワー(332.6m)に次ぐ3番目の高さ(西日本はもちろん、東京23区以外でも最も高い)である。なお、東京スカイツリーおよび東京タワーは電波塔であるため、スーパートールにはカウントされない。(ウィキペディアより)」

時間も無いのでここではさらっと昼食だけ(でも大きかったです)。

そして次の目的地は、神戸市の元町。目的は大正初期にハムとソーセージを作っていた高橋精肉所の調査と台湾式ソーセージの調査。

文献によると高橋精肉店は高橋清平さんという方が経営されていて、大正4年頃すでにハム・ソーセージを作っていた事業所で、関西では食肉加工の先駆けであったようです。
すでに元町で営業をしていないのは知ってたのですが、何か手がかりを探して、親族の方にお話を聞けないかと商店会の理事長さんや、老舗の商店の方にお話を伺いましたが、残念ながら分からないとのことでした。

その後、元町駅のガード下にある新玉屋さんに台湾式ソーセージの試食の為に伺いました。
ハムの起源は中国にあるという説もあるほど中国の肉食の歴史は古く、ソーセージ(腸詰め)も独特のものがあるようですが、地元ではなかなか食べられませんので、元町の中華街ならあるかもと調べてみましたら、ちょうどありました。
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お味は、砂糖が入っているのでしょう、ちょっと甘くチャーシューを詰めたような感じで、お酒のおつまみにはぴったりの味でした。
また、豚足の煮込みや、豚の角煮などの非常に美味しくて参考になりました。

そしていざ姫路へ、

姫路駅を降りると、世界遺産・国宝「姫路城」がライトアップされてお出迎え。
部員全員そのロケーションに感動しました。さすが世界遺産に認定されるだけあります。
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ホテルチェックイン後、播州ハムの堀田社長に紹介していただいた「鶴見寿司」さんで夕食、とても美味しい料理とおもてなしを受けて全員大満足な1日目でした。

(感動の2日目へ続きます。)

平成26年10月5日 ソーセージ手作り体験教室

IMG_0978 IMG_0983 IMG_0996 IMG_0998おはようございます。

昨日は横芝光町文化会館の調理室をお借りして、ソーセージ手作り体験教室を開催しました。

 開催の目的は以下の3点の検証でした。

(1)食育、地産地消、地場産業理解に有用か?
(2)観光客誘致に有効なコンテンツとなり得るか?
(3)青年部が行うイベントのコンテンツとして有用か?

モニターということで、町職員様、観光協会長、宿泊組合員様、そして近隣の商工会青年部員さんをお招きして開催し、冒頭で、大木市蔵氏のお孫さんである大木公一氏より「大木市蔵氏の軌跡」と食育講座として「ハム・ソーセージから学ぶ食品添加物の知識」というテーマでお話をいただきました。

そして手作り体験開始、大人20名、小人6名の26名の参加をいただき、皆様楽しんでいただけたようで、上記3点にはとても有効なコンテンツだということが分かりました。

でも、今回の体験教室での最大の収穫物は「親子のふれあい」、「地域の人達とのふれあい」、「仲間とのふれあい」地元の食材との「ふれあい」だったのかもしれませんね。

今回いただいた感想につきましては、今後の事業に反映させていただきたいと思います。ご参加いただきました皆様ありがとうございました。

平成26年10月4日 播州ハム社長のお心遣い1

皆さんこんにちは。

なんと今日、「NIKKEIプラス1」ハムの部で1位にもなった兵庫県姫路市の「播州ハム」堀田社長がブログに大木市蔵氏に関する記事を書いて下さいました。
「播州ハム」さんは市蔵氏の弟子であった和田義夫氏が初代工場長となり創業された事業所です。
掲載されている写真は、なんと昭和34年に横浜元町の厳島神社に市蔵氏の胸像が建立された時のもののようです。
実は「播州ハム」堀田社長には、私たちのソーセージ事業のお話をさせていただき、視察研修の受け入れをお願いしたところ快諾をいただき、今月下旬にお邪魔することになっています。
横浜の「江戸清」さん、宮城県大崎市の「田尻手作りハム」さん、そして「播州ハム」さんと大木市蔵氏の縁てすごいです。

あすは、試験的にですがソーセージ手作り体験教室を開催しますので、その時にこの記事の話もさせていただきます。

平成26年8月31日、9月1日 第2回視察研修会

CIMG1486IMG_0398皆様こんにちは。

先週まで主張発表大会で大忙しだった当部です。

色々ありアップ遅くなりましたが、実は8月31日(日)、9月1日(月)に、若手後継者等育成事業の第2回視察研修として宮城県に視察に行ってきました。

訪問したのは宮城県大崎市にある田尻手作りハム(田尻農産加工販売組合)さんです。

昭和50年頃より、大木市蔵氏の娘婿、大木尭公氏が指導に行かれた事業所で当時の製法を守っていらっしゃる本格手作りハムの工場です。

当日は高橋精一組合長が快く迎えて下さIMG_0384り、創業当時のこと、ハム・ソーセージの技術のことなどをとても詳しく教えていただき、古くから使っているスモークハウスや現在試験的に取り組んでいる生ハムの製造を見せていただきました。

また年に1回小学校に出向いてソーセージ体験教室を開いたり、希望があれば夏休みの自由研究でソーセージ手作り体験を受け入れたりして地域の食育などの活動も行っているとのことでした。

最後には、「千葉から教えてもらったことは、包み隠さず千葉に返すからいつでも来なさい。」と温かい言葉をいただきました。

人の縁、優しさを感じた視察研修でした。

高橋組合長、事務の藤田さん、わざわざお越しくださいました武田工場長ありがとうございました。

 

平成26年8月28日 「戦争の愚かさ伝える満蒙開拓団の映画」

【満蒙開拓団の映画】

おはようございます。
本日NHKの番組おはよう日本の中で「戦争の愚かさ伝える満蒙開拓団を描いた映画」として、『望郷の鐘 ~満蒙開拓の悲劇~』がとりあげられました。

manmou映画は今秋公開予定で、出演は内藤剛志さん、渡辺梓さん、星奈優里さん、山口馬木也さん、勝又さゆりさん他のようです。

満蒙開拓団とは、満州事変以降太平洋戦争までの期間に日本政府の国策によって推進された、中国大陸の旧満州、内蒙古、華北に入植した日本人移民の総称であり。1932年から大陸政策の要として、また昭和恐慌下の農村更生策の一つとして遂行され、14年間で27万人が移住したようです。
この事業の後年(昭和13年~昭和20年の敗戦まで間)には8万6,000人の青少年が満蒙開拓青少年義勇軍として、満州の開拓と警備を目的として移民したしましたが、約2万人の方が命を落としたそうです。

この満蒙開拓青少年義勇軍は、茨城県友部町にあつた日本国民高等学校(現在水戸市にある日本農業実践学園)で訓練を受け満州に渡りましたが、実は大木市蔵氏が執筆した「実用豚肉加工法」はこの学校で教本として使われていたのでした。

この本を古書店で買う時に、店主の方から「これは満蒙開拓青少年義勇軍が現地での食料調達の勉強のために使った本だよ。」と言われました。

「えっ、それってどういうことですか?」と聞くと、

「ここに所有者の名前が書いてあるだろう、義勇軍は日本国民高等学校で訓練を受けてから満州に渡ったんだ。義勇軍はこの本を満州にも持って行ってたんじゃないかな?」と教えられました。

CIMG1055話を聞いた時しんみりしてしまいました。

「茨城県友部 日本国民高等学校内 牧島五郎」

この方はその後どういう人生を送られたのか・・・。

こういう話って学校教育とかで伝えられないかなと思ってしまいます。

(訳あって、名前が記入されていた本は現在手元にありませんが、写真を撮っておいたので載せさせてもらいます。)

〈参考〉
映画『望郷の鐘 ~満蒙開拓の悲劇~』 ~オフィシャル ~
http://www.gendaipro.com/bokyonokane/

NHKニュース おはよう日本
http://www.nhk.or.jp/ohayou/

満蒙開拓平和記念館 (長野県阿智村)
http://www.manmoukinenkan.com/

平成26年8月8日 第1回試作会

昨日は第1回目のハム・ソーセージの試食会を開催しました。

大木市蔵氏のお孫さんである大木公一さん、横芝光町役場産業振興課の皆様をお招きして開催しました。

IMG_0211IMG_0210なにぶん昭和8年に発行された文献のレシピをもとにしていますので、使われている漢字も現代と異なるものも多々あり、解読に苦労したそうです。

製品のクオリティは非常に高く、かなり満足のいくもので、昭和初期のレシピでこんな美味しいものができるなんて、参加者全員感動しました。

10月にもう一度試作会をして、11月に開催される横芝光町産業祭りにてお披露目させていただく予定です。

来年の8月6日(ハムの日)には食肉センターと協力して「横芝ハムと肉まつり」とかできないかな?とか勝手に想像しています。

3枚目の写真は大木公一さんのアドバイスを真剣に聞く市原君と田村君です。

IMG_0223彼らが作っている「フードショップいちはら」の「デカメンチ」はかなりお勧め、横芝光町白浜地区のソウルフードと言っても過言ではないかもしれません。

「フードショップいちはら」さんが紹介されているブログがありましたので紹介させていただきます。

「フクアリの歩き方 フクダ電子アリーナ 徹底攻略ガイド2 」

http://fukuarinoarukikata.blogspot.jp/2012/12/5.html

8月6日はハムの日

昨日8月6日はハムの日だったんですね。

チーバ君が大木市蔵氏を取り上げてくれましたので、日本におけるハム・ソーセージの歴史についての貴重な記述をのせさせていただきます。

ソースは大木市蔵氏が執筆し、昭和8年(1933年)に西ケ原刊行会より発刊された「実用豚肉加工法」という本の一部です。(長文ですがおつきあいください。)

butanikukakou日本に於ける豚肉加工業の沿革(P64~)

「日本に於ける豚肉加工業の沿革を一言したいが、私(大木)は学者でないから、或いは粗漏な点があるかも知れぬ。唯知っている範囲を述べて見る。
先づ斯業(※1)の発達には鎌倉ハムの始祖英国人ウイリアム・カーテス氏を第一に推し、同会社の元祖故益田直義氏を挙げる。かくて相当の曲折を経てのち日本ハム株式会社、鎌倉ハム株式会社の時代を通って、現在普及する鎌倉ハムは生まれたのである。ハム以外の加工品も多少は此の中に含まれるが、一般豚肉加工として学術的に斯業に貢献されたのは、飯田吉英氏及び津野博士である。また少し趣を変へて日本人嗜好向きに料理法の研究が、田中博士に依ってなされた。実際方面に於いては、日露戦役後横浜山下町に独乙系一露人ヤコブ・ベルテ氏が家庭的に豚肉加工を始めて、外人に販売したのがかぶら矢という。大正の大震災までこの店は継続して居たが、余り上等品は出来なかった。
その後、明治43年ドイツ人エム・ヘルツ氏が船員生活を棄てて、横浜居留地に極めて小規模な店を開き、純ドイツ式製品を売り出し、震災にあって神戸に行き、今は帰国した。この間青島の戦でドイツ人捕虜の技術者を以て、資金2百万円を投じて大規模の計画を立てたが、業ならなかった故節引弓人氏がある。これと前後して岩崎輝彌農場でも幾分の研究と、試験があったと聞く。
大正9年頃には明治屋、東京牛乳会社等でドイツ人捕虜を雇い製造を開始し又、資生堂福原氏、風雲堂後藤氏その他数氏の合資組織で相当大規模のものが出来たが、全て震災を境にして結果面白くなかった。術者(大木)は明治45年、前記ドイツ人ヘルツ氏と親交を結び、斯業の必要なのを痛感し、それ以来密かに研究を積み大正3年第1回神奈川県畜産共進会に、参考品として数種出品した。これ恐らく日本人として共進会に「ソーセージ」出品の最初であろう。後8年第1回畜産工業博覧会に当時私の奇寓する親戚高橋氏(※2)の名義で10数種出品して、宮内庁の御用命を得るに至った。
日本人として最初の「ハム・ソーセージ」専門店を東京市銀座尾張町4丁目に張ったのが術者(大木)で、間口4尺の特殊店はすこぶる行人を驚かし、小説に雑誌に度々掲載されたが需要者としては、少数の外人と洋行帰りの婦人くらいで、その後暫くの間博覧会等への出品は、単に珍しい物という観念にさらされ、十数万の欠損をくった。
現在は既に百数十名の同業者が出来て、各デパートを始め都会地での普及は甚だしくなっているが、そのほとんどが全てが捕虜ドイツ人か、或いは不肖術者(大木)の系統である。現今社会極めて不安定の時に際し、斯業益々発展して食肉経済を助けられたら、この上ない喜びと思うものである。」

※1 「しぎょう」・この場合ハム・ソーセージ業界のこと
※2 横浜中華街 豚まんの元祖「江戸清」

平成26年6月30日 第1回視察研修会

昨日は青年部若手後継者育成事業の「第1回視察研修会」
芝浦と場、日本のソーセージの父と言われる大木市蔵氏が修行したとされる横浜の「江戸清」(豚まんの元祖)、そして元町の大木ハムの視察に行きました。
「江戸清」さんでは、貴重なお話をお聞かせいただき、工場見学もさせていいただきました。
目の前で豚まんができる様子はまさに感動でした。

視察を受け入れて下さいました皆様ありがとうございました。

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平成26年5月8日 プレゼンテーション

平成26年5月8日(木)、千葉県商工会青年部連合会主催、リーダーズセミナーにおいて、当部の本年度事業「ソーセージの開発事業」のプレゼンテーションを行いました。

P5080061 P5080056  発表者はコテージ&ペンション「なんじゃもんじゃ」の秋葉秀央さん。プレゼンは完璧で、改めて彼のすごさと、彼が当部にいることのありがたさを実感しました。
さて、なぜ横芝光町でソーセージかを説明させていただきますと、日本にドイツ式ソーセージを広めたのは、当町出身の大木市蔵さんという方でした。この方は中学校卒業後、横浜中華街の「江戸清」(当時は肉屋、豚まんの元祖)に修行に行きドイツ人のマーテンヘルツ氏と知り合い、ドイツ式ソーセージの技術を教わり全国に広めた方です。
第2次世界大戦終了後、市蔵氏は郷里横芝光町、橋場(現在のリカーショップ四方さんのあたり)にてソーセージ・ハム工場を開設します。
こちらで多くの方が修行をし、そのお弟子さん達が全国に技術指導に赴き、また独立したりで豚の加工技術及びハム・ソーセージの技術が広まったのです。
しかしながら、現代においては市蔵氏の流れをくむハムソーセージ工場も大手の廉価版の製品に押され、廃業に追い込まれその技術も消え去りそうになっています。
当部では平成26年度事業として、大木市蔵氏が全国にソーセージ技術を指導するときに使用した文献にあるレシピに沿って製品を造るとともに、市蔵氏の流れを組む事業所や、親族の方にお話しを聞き、大木市蔵WEB記念館を創設することとなりました。
事業の一環として、イベントでの試食や、手作りソーセージ体験教室なども企画していますので、是非ご参加下さいますようお願い致します。
写真3枚目は弟さんが継がれ現在でも営業している、横浜元町の「大木ハム」のショーケース。町立図書館にある「ソーセージ物語」には大木市蔵氏のことが書かれていますので是非読んでみて下さい。