市蔵は明治28年千葉県匝瑳郡東陽村(現在の横芝光町)に生まれ、明治43年から横浜山下町の「江戸清」で食肉加工の見習いとして就職、そこで顧客であったドイツ人マーテン・ヘルツに出会い、ソーセージの製造技術を伝授されるのです。
大正6年「第1回神奈川県畜産共進会」に我が国初のソーセージを出品、大正8年、上野池ノ端で開催された「第1回畜産工芸博覧会」において2等賞(ソーセージとしては最上位)に輝くなど、多くの博覧会で入賞。大正9年には合名会社大木ハム製造商会を開業し、ソーセージ、ハムの製造・販売を開始するかたわら、東京帝国大学駒場畜産研究会で講師を兼任し、昭和13年には群馬高崎ハムを設立。その後も、全国各地で食肉加工講習会、技術指導にあたるとともに多くの弟子受け入れ、後年には一般社団法人日本食肉加工協会の理事を長年にわたって勤め、日本農林規格(JAS)の制定に携わるなどわが国の食肉加工技術の発展に尽力したのです。