参考文献紹介第12回「大木式ハム・ソーセージの評価」

参考文献紹介第12回は複数の文献をまとめさせていただき、その後の品評会等における市蔵氏の製品の評価について取り上げてみます。

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まず、大正11年4月に中央畜産会から発行された「畜産博覧会報告」です。この文献は大正10年の4月30日から5月9日までの10日間、東京両国の亀澤町に於いて開催された、中央畜産会主催「畜産博覧会」の報告書です。この博覧会は主として馬、牛、豚、鶏といった畜産動物の品評会で全国から多くの出品がありました。加工品であるハム・ソーセージは審査の対象とはならなかったのですが、会場内に売店が設けられ江戸清高橋清七氏がハム・ソーセージを販売し、宮内省や宮家の方々が江戸清のハム・ソーセージを次の通りお買い上げになります。

【宮内省】千葉ハム、プロナソーセージ 【宮内省狩猟寮】ハム、ソーセージ 【東久邇家】千葉ハム 【北白川宮家】千葉ハム 【竹田宮家】千葉ハム

市蔵氏は前年の大正9年に独立していますが、これらの製品に市蔵氏が関わっていたことは言うまでもありません。

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さて次の文献です、こちらは大正14年8月に「神奈川県出品協会」より発行された「第2回畜産工芸博覧会神奈川県出品事務報告書」です。この文献は大正14年3月10日から5月18日までの間、東京上野不忍池畔にて開催された畜産工芸品の全国大会「第2回畜産工芸博覧会」における、神奈川県出品物の結果報告書です。

この博覧会に大木市蔵氏は自身の名義で28点を出品、2等賞となります。名誉賞に鎌倉ハム製造組合(出品物ハム)ですので、市蔵氏の製品はソーセージでは最上位となります。結果も素晴らしいのですが、この博覧会において市蔵氏は売店内にてソーセージの製造実演販売を行いソーセージの普及を図ったようです。

その様子が大正14年7月に発行された子安農園家畜研究会発行の「家畜第9巻第3号」に一記者の投稿として「第2回畜産工芸博覧会を見る」として次の通り記載されていました。

「中央畜産会の主催で、上野不忍池畔に建設された、畜産工芸博覧会は、3月10日から18日迄開催することになった。畜産博覧会は英仏その他の国々でも年々開かれているそうであるが、畜産工芸博覧会は日本が最初の試みであった、今年は中央畜産会創立10箇年記念として、第2回を開催したもので、すこぶる新しい処のものである。而してその目的は、畜産物は人生に缺くべからずもので、其畜産物が現在何う利用されて居るか、又何う利用すべきであるか、換言すれば畜産が農業経営上如何に有利か、又其工芸品はどんなものかを知らしめる為、内地植民地から生産するものを、漏れなく陳列したもので、地域9050坪の内、陳列館3800坪、売店と演芸館等で1000坪でこの種の博覧会としては、規模も相当大である。(中略)南館では大木肉商の売店があって、店頭でソーセージ製造を実地にやって居るので、人が黒山のように立ち、腸詰は、此様にして、造るものかと感心している」(抜粋以上)

また、はっきりしているもので市蔵氏が畜産加工品を博覧会に出品したのは、大正6年の「第1回神奈川県畜産共進会」大正8年の「第1回畜産工芸博覧会」そして今回の「第2回畜産工芸博覧会」の3回。その全てで飯田吉英氏は審査官を務め、市蔵氏の製品について昭和38年6月25日発行の日本食肉加工情報第160号「豚と食肉加工の回想(59)」で次のように語っています。

「大正の末期、銀座の真中本通り一番館という処へ、ハムやソーセージなどの販売店を開いたのは大木市造(原文ママ)氏である。大体まだまだ需要の少ない加工品を、大繁華街の大店と軒を並べて商売を始めたのだから、その大胆さには皆驚いて、うまく売れて繁昌してくれれば良いがと念願していた。銀座では亀屋が内外の加工品を扱って大繁盛していたが、大木氏の店は自分で作った品を並べて置くだけだから、見栄えはなかったが、外国人でなく日本人が作って売っているというので人目を引いた。心ある誰でも感激したものである。大木氏は東京に於ける全国畜産博覧会へは売店を出して、白衣を着てハムやソーセージを売っていたことは、博覧会を見物した数十万の人々はよく覚えているに違いない。大木氏の製品特にソーセージが、抜群の優等品であるのは何人も認めている所で、その審査の主任であった私は、いつも優等賞をつけたが、産額が少ないという理由で、博覧会としては等位で、1等になることは出来なかったが、品質の上等であることは定評であった。(現在でも大木氏ほどの技術者は、全国中を探してもなかろうかと思う。)(抜粋以上)

明治45年よりドイツ人技師マーテン・ヘルツについてソーセージ造りを始めた市蔵氏、その技術が確かであったことが伺いしれる一節です。

市蔵氏は著書「実用豚肉加工法」にてこの時のことを次の様に述べています。

「日本人として最初の「ハム・ソーセージ」専門店を東京市銀座尾張町4丁目に張ったのが術者(大木)で、間口4尺の特殊店はすこぶる行人を驚かし、小説に雑誌に度々掲載されたが需要者としては、少数の外人と洋行帰りの婦人くらいで、その後暫くの間博覧会等への出品は、単に珍しい物という観念にさらされ、十数万の欠損をくった。」

一般家庭における国産ソーセージの普及を目指し、銀座にハム・ソーセージ専門店を開業、畜産工芸博覧会にて実演販売を行いましたが、ソーセージは珍しいもの、残肉利用というイメージがもたれていたため苦戦したようです。しかし当時の十数万の欠損とは現在の貨幣価値にするとどのくらいなのでしょうか?興味深いところです。