参考文献紹介、これまで14回に渡り連載させていただきました。長文も多く、ここまでお付き合いくださいました皆様ありがとうございます。
当WEBサイトは「光町史」にあった大木市蔵氏に関する一文から調査を始め、増田和彦氏の著書「ソーセージ物語 ハム・ソーセージを広めた大木市蔵伝」をもとに調査を行い開設に至っております。当会のある横芝光町や横浜元町にて市蔵氏にゆかりのある方にお話を聞くと、「大木ハムは日本で初めてソーセージを作った」、「大木ハムには大勢の人が習いにきていた」、「日本のソーセージは大木ハムがそのはしりだ」、「大木市蔵は全国にハム・ソーセージを教えに歩いた」という話を伺いました。また視察や資料の利用の件でゆかりのある事業所にお電話すると、皆快く応じて下さり、大木市蔵という人物の功績はすごいものであったことを知りました。
一方で、インターネット上で、大正8年に開催された第1回畜産工芸博覧会にて出品されたソーセージの総評が芳しくなかったことから、その後の大木市蔵の活躍は、その前年に習志野捕虜収容所でカール・ヤーンよりドイツ式ソーセージの技術を10日間に渡り伝習した飯田吉英氏がその秘伝を教えたためとの推測があり、このことについてある紙面の取材で聞かれたことがあります。その時は担保するものが何も無く、明確に否定も肯定もできませんでしたが、文献を読み解くうちに答えを得ました。
まず第1に、飯田吉英氏のアドバイスという点では、飯田吉英氏と市蔵氏の関係は第9回、12回、13回にて紹介した通り親密なものであり、この時だけでなくそれ以前から当然あったものと思えます。但しそれは飯田吉英氏から市蔵氏へという一方向的なものでもなく、市蔵氏から飯田吉英氏へというものも含めた双方向のものであったと考えるのが自然かと思われます。
飯田吉英氏は昭和2年頃台湾総督府の要請により台湾の畜産について調査に赴き、その後報告書を提出します。市蔵氏は昭和5年、農林省の嘱託を受け全国各地で食肉加工の講習会を行い、農村にハム・ソーセージを含めた食肉の加工技術を伝えます。また昭和13年台湾総督府の要請により国策会社台湾畜産工業㈱を設立します。この点を見ても、官の側として飯田吉英氏が畜産、食肉加工品の普及のための道筋を作り、それを技術面で支えたのが市蔵氏であると思えます。
第2に、飯田吉英氏が市蔵氏にカール・ヤーンから伝習した秘伝を市蔵氏に伝えたことが市蔵氏の飛躍に繋がったというところですが、市蔵氏はその著書で、「我が国の様に湿気の多い所では其の製造法も只いたずらに外国の模倣であってはならないので、自ら独自の考慮を拂う可きは言を俟たぬ。」
また飯田吉英氏も大正14年頃、「ハムとかソーセージなどの製造をすることはそう難しいことではないが、これを万人の口に合うような商品にする迄は、十分な熟練を要することは言うまでもない。」と述べています。熟練工であったローマイヤー、カール・レイモンでさえも、その製品が日本で売れるようになるまでには相当の時間を要したようですし、例え秘伝の製法を伝えたとしてもそれが一夜にして開花するというのはストーリーとしてかなり無理があると思われます。
「大正時代中期~末期に市蔵氏のソーセージが飛躍的に伸びたのは長年の研究と成果と、養豚と食肉加工に携わる方たちの尽力により、製法と技術、材料となる豚肉の品質と量、需要と販路といったものが徐々に揃ってきたからである。」というのが今回の調査での結論です。
上記2点の結論に至った参考文献が、日本獣医生命科学大学に所蔵してあり、この大学が市蔵氏の血縁者の母校であったこと、またこの大学の教授を務められた方が大木市蔵門下であったことから、不思議な縁を感じずにはいられません。
さて前置きがかなり長くなってしまいましたがまとめてみます。当初大木市蔵氏に関する資料はかなり少なかったのですが、インターネットを利用して関連する文献や、ゆかりのある事業所様を知ることができました。20年前であればここまでのことは出来なかったと思います。一方インターネットの普及により、出版社の経営も非常に厳しいものになっており、食肉加工関係の文献についてはかなり歴史の長い出版社も倒産するといった状況になっています。インターネットは手軽に必要な知識を手に入れることができ、また情報を広めるという部分では素晴らしい技術ですが、皮肉にも先人たちの知恵を深く掘り下げた専門書は減っていくという時流になっています。
今回ソーセージに関する明治、大正時代の文献を読み解いていくうちに、明治、大正時代飯田吉英氏はじめ多くの方が、貧しかった農村の所得向上と自給自足、肉食の奨励による国民の体力向上を目指し、畜産と食肉加工品の普及のために尽力、そして協力していたことが分かりました。
千葉県は全国でも有数の畜産が盛んな県です。今後畜産や食肉加工の道に進む方のための一助となることを願いまして、ここまでを「参考文献紹介第1部」とさせていただきます。
なおウェブサイト拡充のため今後も調査を続けていく予定です。以下に大木市蔵氏の胸像台座にある、関係者のお名前を記載させていただきますので、大木市蔵に関する資料をお持ちや逸話をご存じの方、是非ご連絡いただければ幸いです。
大木市蔵胸像建立賛同者 | |||
磯貝律夫 (雪印食品工業) |
大山五男 (高崎ハム) |
山田正和 | 望月金次郎 |
稲垣〇〇(不明) | 大木義守 (千葉大木ハム製造商会) |
矢住清亮 | 関口六二 (高崎ハム) |
伊藤勘司 | 和田義夫 (播州ハム工業所) |
松田謙幸 (高崎ハム) |
関口雄二 |
石井孫七 | 渡辺恭平 | 福井隆男 | 鈴木瀧治 |
石井嘉吉 (鎌倉ハム石井商会) |
若槻武司 | 藤代 力 | 鈴木桂太郎 |
伊藤鉄四郎 | 大山福次 (高崎ハム) |
藤田利嗣 | 竹内一三 |
伊藤郁造 | 菅野三郎 | 小林市松 | 老川尚志 |
稲石 公 | 米山ふみ | 小林清一 | 坪崎二郎 |
市橋真一 | 興儀謙次郎 | 小出 清 (鳥清食肉加工) |
山﨑幸五郎 |
林田 保 | 吉田 金 | 小島菊太郎 | 藤田宮司 |
畠山政七 | 竹岸政則 (プリマハム) |
海老沢永一 | 粉川平儀 |
半田伊利 | 高橋峯男 (江戸清) |
浅野壮次郎 | 小林政一 |
林初三郎 | 高橋信一 (江戸清) |
秋山東洋男 | 市原市郎 |
西島三郎 | 滝沢 武 | 有吉正太郎 | 鈴木重昌 |
西田 博 | 高橋道之丞 | 斉藤義蔵 | 小峯 勝 |
堀田保次郎 (播州ハム工業所) |
田口一夫 | 木塚輝雄 (山口大学教授) |
鈴木亮吉 |
北郷明正 | 辻本信千代 (鎌倉ハム村井商会) |
北村 直 | 大野金八郎 (高崎ハム) |
富安珍資 | 中村常義 | 清野正樹 | 勝俣喜六 (高崎ハム初代工場長) |
戸沢喜代司 | 中村たつ | 北川恵二 | 日栄物産株式会社 |
近田弥助 | 中島辰平 | 宮代茂儀 (宮代商店) |
株式会社宮代商店 |
小原哲三郎 | 中野義一 | 宮代喜一 (宮代商店) |
株式会社日本食品化学研究所 |
加藤義明 | 村井菊次郎 (鎌倉ハム村井商会) |
宮代友吉 (宮代商店) |
群馬畜産加工販売農業 協同組連合会 高崎ハム工場 |
大沢竹次郎 | 武藤 力 | 宮代正夫 (宮代商店) |
竹岸畜産工業株式会社 |
大木 茂 (大木市蔵実弟) |
内沢忠三郎 | 宮代堅次 (宮代商店) |
群栄化学工業株式会社 |
荻山宗一 (三井ハム製造) |
上原祐常 | 南 忠夫 | 味の素株式会社 |
大木 融 (市蔵氏長女婿) |
生方三七松 | 三村誠二 | 信州ハム株式会社 |
大木尭公 (市蔵氏次女婿) |
海内 寅 | 日越国 | 下伊那農産工業農業 協同組合連合会 |
伊佐常春 | 野口種治 | 広瀬勝三郎 | 日本合理畜肉株式会社 |
大山 登 | 山本福太郎 (十勝池田食品) |
広川広次 | 宝化成株式会社 |