参考文献紹介第2回「ハムの起源は支那(中国)という文献」

参考文献紹介第2回目です。今回の文献は明治37年、谷村右七(うしち)氏の著書「豚業」です。谷村氏は現千葉県木更津市にお住まいの方であったようです。

この本は明治32年、千葉県君津郡の長、土屋州平氏が、仕事上外国人が渡来することが多くなり、日本でも非常に多く肉を食べることから、肉の生産量を高めこの需要に応じるべきだと計画し、畜産及び加工の知識のある谷村右七氏に願い出て「豚業」と題しその技術を書物にして郡内の農家に養豚事業を推奨しようとしたようです。

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デジタルデータ

著者の谷村右七の根本にあったものは、豚は繁殖力も高く、成長も早く、飼育法も容易であり、調理法も多く貯蔵にも適するため利益が大きい。養豚は海、浜、里中、山間の別なくその規模に応じで行うことができ、肉の市価が高ければ肉屋に卸し、安ければ自家消費用にし、余った分は燻腿(ハム)等保存し必要に応じて消費すれば、農産物が不作の時にも高価な魚類を購入しなくてもよく、通年に渡って美味しい肉が食べられる、生活が安定するといったもの、まさしく市蔵氏の唱えた理念と一緒、先駆者です。

この文献では豚の種類や繁殖の方法、燻腿(ハム)腸詰(フレッシュソーセージ)の製法、さらに燻煙室の構造まで記述があります。

この中で興味深いのは燻腿(ハム)のルーツは支那(中国)にあるという記述です。以下現代風の言い回しにして抜粋します。

第3章第3節「燻腿製造法」(22ページ、デジタルデータ18コマ)

「支那は臘乾(らかん)製造の元祖にして、その製造の方法は豚肉を細く裁ち、俗に言う電り乾し(?)のように拵え寒中日光の当たるところに掛け置き之を干しあげるようなものなり。西洋に於いてはそのままにて燻蒸す如し。この支那と西洋とで製法の異なる原因は、最初西洋人が支那産出の臘乾を模造せしか故ならん爰を以て支那人は西洋にて算出せるものを燻腿と称し自国にて製出する所のものを臘乾と呼んでこれを区別した。」
(抜粋終わり)

大木市蔵氏もハムの起源は中国であるという見解を述べていました。現代では調べる術もありませんが、興味深い一文です。

なおこの本には、明治31年1月21日に行われた、燻腿、燻肉(ベーコン)、腸詰の試験製造の結果の記述があります。