参考文献紹介、第3回目は明治34年に十文字商会から発行された「養豚新説」です。
この本を著したのは食肉加工の先覚者といわれる森田竜之助氏(以下森田氏)という方です。
元千葉県令の船越衛氏(以下船越氏)の回顧によると、森田氏は外国語に長けており、陸軍省が兵部省とよばれていた明治6、7年頃フランスから軍の1団を招聘して陸軍の訓練を行った時に通訳を務めました。それが縁でフランス軍人についてたびたび横浜に出かけて行き、その折に日本でもこれからは牧畜を盛んにしなければならないと言われ、豚の飼育方法や罐詰の製法、塩豚の作り方を教え込まれました。
船越氏は千葉県は馬鈴薯や甘藷の栽培が盛んなことから芋粕がたくさんあり、各所に堆積していたことから、これを何かに利用する方法はないものかと考えた末に思いついたのが養豚でした。そして養豚普及の任をその基礎知識のある森田氏に当たらせることにし、森田氏と共にフランス、ドイツ、アメリカの養豚業を視察しその技術を学びました。
森田氏は帰国後、ハム、ベーコン、罐詰類に関する専門的な研究を積み技師となり、明治13年の冬に千葉県立食肉製造所が設立されるとその主事に就任し、養豚とハム、ベーコンをはじめとした食肉加工の技術を伝授します。なお明治19年に千葉県下の村々に配布された「塩豚製造法」と題したパンフレットは、ハム製造法の記録としては日本最初のものであると思われています。
前段長くなりましたが、「養豚新説」に腸詰法として記載された部分を現代風にして一部抜粋します。
『腸詰法』(116ページ、デジタルデータ65コマ)
「腸詰はその作り方には種々ありますが、先ず肉を砕いて塩を適度に加え香料草『セージ』、『タイム』等を極少量を加え又胡椒の細末を適度に加減して混和し、これらを肉とよく混ぜ腸の中にめ込むのです。(中略)そしてこれを湯の中に煮沸するのです。漸次煮沸しますと内部に瓦斯が発生して緊張し腸が破裂することがあるので、その時は瓦斯の発生した場所が外からわかるので細針又は楊枝の先で小穴を開いて瓦斯を発散させるのです。しばらくして煮沸したならば取り上げて乾燥して貯えることができるので暖かい国ではあまり長く保ちませんが、寒い国では長く貯蔵しおくことができます。(中略)又、ベーコンを賽の目豆腐のようにその肉を脂肪とともに切り混んじ腸詰の中身に混じ燻煙するものもありますが、之をソーセージと申します。」
明治34年、これよりソーセージという言葉が広まっていきます。