参考文献紹介第5回「ソーセージ製造発祥の地は、長崎、神戸、富里(千葉)、横浜、久留米?」

参考文献紹介第5回は、大正7年に農商務省農務局から発行された「農務彙纂第71号日本内地ニ於ケル乳製品ト肉製品」です。

同様の報告書は大正4年、大正5年にすでに発行されていますが、本書にて初めてソーセージ製造の調査結果が記載されています。

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デジタルデータ

大正4年当時のソーセージの製造者は全国に4名、その生産量は38,700斤(23,220kg)、罐詰は600個とあります。
製造者は以下の4名
兵庫県神戸市元町1丁目 高橋 清平
長崎県長崎市梅ケ埼町 平山権四郎
長崎県長崎市梅ケ埼町 中村朔次郎
千葉県印旛郡富里村 末廣農場(岩崎農場)
この時代ソーセージの生産量が増えたのは、時局の影響(第1次世界大戦)によりソーセージの輸入が減少した結果、産出量が増えたものと見られています。またその用途は軍需品か試作品とあります。
市蔵氏は大正4年時、第一次世界大戦により横浜で商売ができなくなってしまった師、マーテン・ヘルツと合同でサシズ屋商会を設立しましたが、なにせ江戸清勤務の身、就業後に師からその技術を習っていたのでしょう、表にはでてきていません。また他の文献によると、この当時福岡県久留米市の松尾音吉氏(現在も久留米市内において松尾ハム製造所として営業中)がハムやソーセージを久留米捕虜収容所のドイツ人捕虜のために納入して収容所の所長樫村少佐から感謝状を受けています。
文献には出てきませんが、他にもソーセージ作りに励む方がいらっしゃったのではないでしょうか?
以下原書です。クリックでどうぞ。

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大正4年時におけるソーセージの生産量

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大正4年時のソーセージ製造業者