1月11日の「大木式ソーセージ復刻プロジェクト」の記事の転載になります。
日本食肉加工協会発行より昭和45年10月に発行された「食肉加工百年史」においても、今日肉製品と呼ばれているハム、ベーコン、ソーセージ類の製造が日本でいつごろから開始されたかは明確に知りがたいとされています。
資料によれば大木市蔵は明治45年に横浜でソーセージの製造を始めていますし、大正3、4年頃には神戸や長崎、久留米などでも製造が行われていたことが、農商務省職員であり畜産試験場の技師であった飯田吉英氏の調査によっても判明しています。
また官の側では、明治41年から東京駒場にあった月寒種畜牧場渋谷分場(通称畜産試験場)おいてソーセージの製造に関する研究が行われており、明治43年には飯田吉英氏によりアメリカ式ソーセージの製法が公開、講習会も開催されます。
一方で千葉県習志野市は、大正7年、当時習志野市にあった習志野俘虜収容所にいたドイツ人捕虜が、飯田吉英氏に10日間に渡りその製法を公開したことから、ソーセージ伝来の地、ソーセージ製造発祥の地としてPRしています。
このあたりの歴史を整理したく調査していたところ、国立国会図書館のマイクロフィルム資料に飯田吉英氏による貴重な記述がありました。以下引用します。
「肉食問題の解決とソーセージ」畜産試験場 飯田吉英
ソーセージ(Sausage)と云ふ言葉は英語であって、佛國ではソーシーズ(Soucisse)、獨逸では(Wurst)ヴオスト(中略)と呼んで居る。従来我が国では腸詰と呼んで居たが、この腸詰と云う言葉は潔癖ある我國人には適していない。やはりこれは英語読みにソーセージと云ふ方が感じが好く又通りが好い様である。支那では香腸と呼んで居る。我國でソーセージを製造し始めたのは横浜在留の外人で、明治20年頃から漸次京濱間の内外人の間に売込まるるようになった。一般の人が着目する様になったのは全く最近の事實でこれは日独戦争後独逸俘虜の在留するものが製造を開始したることが大なる動機である。併しながら一般から言へば未だソーセージがどんな肉であるかを知らない人が大多数である。これを全国に普及する様に努力することは肉食奨励上目下の急務と考へるのである。
(出典「畜産と畜産工芸」第10巻11号 中央畜産会 1924年(大正13年))
飯田吉英氏は官の側におけるハム・ソーセージの第1人者。ハム・ソーセージに関する文献のほとんどは、この方の調査結果が基礎となっているのですが、上記の部分はすっかり埋もれてしまっており全く取り上げられてきておらず、今回当会の調査によって判明しました。
外国人により、横浜でソーセージの製造が始まった20数年後の明治45年、ドイツ人マーテンヘルツより大木市蔵にドイツ式ソーセージの製法は受け継がれ、そこからさらに日本の気候、日本人の味覚に合うよう研究され、日本に広まっていき、その食肉加工法は大木流と言われています。
昭和12年発行の大木ハムのパンフレットにある一文、「小店主は日本人として初めてソーセージの製造を始め」の部分につながっていきます。