平成27年5月8日(金)、千葉市 京成ホテルミラマーレで行われた「千葉県商工会青年部連合会 リーダーズセミナー・通常総会」において、当部のソーセージ復刻事業の平成26年度の事業報告と平成27年度の事業計画の発表を行いました。発表者は土屋 歩部長(㈱土屋)、5月1日に新部長となりいきなりの大役でしたが頑張ってくれました。
今年度は、ずばり商品化を目指してやっていきます。よろしくお願い致します。
では、事業の骨子をちょっとだけお見せしちゃいます。
本年度のソーセージ事業も2月末でひと区切り。本日は佐藤町長、浅野観光協会長、森川商工会長、町職員の方々をお招きして、事業報告と来年度の事業計画を発表しました。
今日は計24名の方にご参加いただき、試作品に対するご意見、アドバイスをいただきました。
また昨日は千葉県商工会青年部連合会でプレゼンを行い、来年度の事業計画も無事承認され、今後商品化を目指しての活動ができることになりました。
多忙を極めた本年度でしたがちょっと休息を頂き、これから皆さんに美味しいハム、ソーセージを届けられるよう頑張っていきたいと思いますので、応援お願いします。
PS・ 今日の会場はモツ鍋で有名なおばこやさんでした。
今まで伏せていましたが、実はおばこやさんの創業者さんは、大木ハム千葉工場の門下生だったんですよ。
明日2月3日は、一ノ宮町で千葉県商工会青年部連合会の「サクセス交流会」が開催されます。
その中の情報交換会の場にて、我々が復刻したハム、ソーセージ、ベーコンの試食が行われます。
実は、数時間前に明日お披露目するソーセージ達が出来上がりました。手前味噌で恐縮ですが、現状かなり良い出来になっていると思います。
これまでは自分たちのスタート地点をきちんとしておくため、大木市蔵氏の文献を参考にとりあえず自分たちで作ってみるというスタンスで、材料の配合は文献の通りでしたが、お肉を挽く方法や、燻煙や冷却の温度などはざっくりとしたものでした。
今回の試作については大木公一氏の指導を仰ぎ、また播州ハムさんや田尻手作りハムさんに教わったことを、メモを見返しながら思い出し、製法に取り入れてみたところ明らかに製品が変わりました。
具体的なことは明日の試食会の為に伏せておきますが、特にベーコンを楽しみにしていただきたいと思います。
1年前に企画書を提出した時は、この事業がどうなるか見当もつきませんでしたが、多くの方にご協力いただき、皆で一歩ずつ活動していく中で、市蔵氏の原点である「地域を良くしよう」という気持ちが皆に乗り移った気がします。
市蔵氏が残した1冊の本、これは我々にとって1粒の種であり、この半年間どう芽吹かせるかを考えてきて、そしてやっと今日芽が出た気がします。
明日参加される皆さんにご意見をいただき、今後大きく育てていきたいと思います。
明けましてましておめでとうございます。本日より当部のソーセージ事業も始動です。
まずお昼にランチ会議、平成27年度も事業を継続していくにあたって、予算を確保すべく、企画書と事業計画書作成のための第1回目の打ち合わせです。(当部では会議の頻度が多くなる時は、ランチタイムを活用しています。手書きの資料とか、かなりラフですけど意外とこれが効果的)
平成26年度は、
○大木市蔵氏レシピに基づいた「復刻版本格ハム・ソーセージの開発」
○大木市蔵WEB記念館の開設
を2本柱に試作や視察などを行ってきましたが、なにぶん昭和8年に発行された本なので、出来上がってきた製品が現代人の味覚に合うものばかりでは無かったのが実情でした(けっこうさっぱりしていた)。
もっとも昭和8年以降も大木ハム千葉工場は製造を続け、日本人の味覚に合う製品を作り続けていたことは事実であり、戦後多くの弟子を受け入れ、そのお弟子さんたちが全国に広がり、戦後の復興期の食肉文化を支えました。
市蔵氏は農業畜産関係の役人でもなく、学者でもありませんでしたから、執筆した文献はほとんどありませんが、昨年度の調査により姫路の播州ハムさん、宮城の田尻手作りハムさんはじめ、市蔵氏にゆかりのある事業所や当時大木ハム千葉工場に勤めていた方とも知り合いになれました。
平成27年度は、市蔵氏にゆかりのある方にもご協力をいただき、復刻版のハム・ソーセージを現代の日本人の味覚に合うように、千葉のお酒に合うようにブラッシュアップして商品化を目指す方向となりました。
これまでは皆でまとまって活動していましたが、平成27年度は開発部門、マーケティング部門、PR部門(WEB記念館含む)などのパートに別れて活動していく予定です。
思い立ったが吉日、お昼に即、部門責任者候補に電話をし、今夜は緊急会議で意志の疎通を図り企画書に落とし込みます。
物事スピード感があると緊張感も出て非常に良いですね。
それでは本年もよろしくお願いします。
昨夜は日本におけるソーセージの父、大木市蔵氏のソーセージ復刻事業の試作会でした。
今回試作したメニューは以下の3品
1.ロースハム
2.ハム・ソーセージ(ソーセージの中にハムの肉を詰めたもの)
3.タングソーセージ(ソーセージの中に豚の舌(タン)を詰めたもの)
ロースハムは産業まつりで感じられたパサパサ感の改善をテーマに、他2品は初の製作でした。
ロースハムのパサパサ感はボイル工程の方法を変更し、肉のしっとり感、脂の旨味が引き出せるようになりましたが、まだ色あいと熟成感に課題を残しました。
ハム・ソーセージは味はまあまあですが、色合い(見た目)に課題、タングソーセージは食感も味も良かったのですがパンッとした感じが不足等、次回取り組むべき課題が見えてきました。
市蔵氏のお孫さんである大木公一氏から
1.加工品には加工品に向いたカットがある。正肉用のカットでは良い加工品はできない。
2.ソーセージは兎にも角にもエマルジョン(「肉」と「脂肪」と「水」の(乳化物)が大事。
3.塩漬けの温度が低すぎる、ボイルの温度は逆に高すぎる、これを改善すればもっと良くなる。
など多くのアドバイスをいただきました。
課題は山積みですが、また一歩前進したのと、まだまだ伸びしろがあるこことに喜びを感じました。
試食会終了後、ファミレスに移動し今後の方向性についての検討会、熱い夜となりました。
3年前から調査をし、集めてきたソーセージの父、大木市蔵氏関連資料の数々。取り纏めも終わり、本日「ソーセージの父、大木市蔵WEB記念館」となるべく本日第1陣が商工会館から旅立っていきました。
本来あった資料の多くは、関東大震災や第2次世界大戦で焼失してしまいどうなることかと思っていましたが、国立国会図書館や古書店、姫路の播州ハム様、そして大木公一様からと色々な方の協力がありこれだけの資料が集まりました。どんな形になるのか楽しみです。
製作は部員の上原広嗣さんが責任者として担当してくれることになり、来年3月には開設できる予定です。
このWEB記念館で横浜元町と横芝光町にあった大木ハムで修行した人達が日本の肉食文化の一翼を担ったという歴史を後世に残せれば良いと思います。
明後日はまた試作会、そしてWEB記念館に厚みを持たせるべく、先月の産業まつりで知り合った、大木ハムに由縁のある方々の取材と、私たちの活動は続きます。
今日は朝から「第9回横芝光町産業まつり」に出展しました。
かねてよりお知らせしておいた、ハム・ソーセージの試食会と大木市蔵展、そして特製油そばの販売といままでにないボリュームでの参加です。
試食会では、来場の皆様にお褒めの言葉をいただき、また大木ハムにゆえんのある方々も何名か来て下さり、当時のお話をお聞かせいただきました。
とても感慨深かったのは、大木市蔵展を開催したことに「ありがとう」と感謝の言葉をいただいたことと、大木ハムの当時のお話をきくほど、市蔵氏の功績はまさにレジェンドという言葉にふさわしいものだったことです
大木市蔵氏は知ったきっかけは、平成23年度に「ご当地グルメによる町おこし」としてモツを使ったメニューを考えていたときでした。
当町は町営の食肉センターがあることで新鮮なモツが手にはいりますが、すでにモツ煮は昔からメジャーなメニューで、また「おばこや」さんという有名店があるという中、どういう方向性にして良いかわからず、もう一度町のことを掘り下げてみようと光町史を開いたことがきっかけです。
当町で、食肉加工の工場を設置して、その道の権威大木市蔵氏が指導にあたり、その製品は「興亜ハム」として販売された。その工場はやがて市蔵氏が引き継ぎ、大木ハム千葉工場になったという一節があったのです。
インターネットで大木市蔵氏を検索してみると、増田和彦氏が執筆した「ソーセージ物語・ハム・ソーセージ広めた大木市蔵伝」とうい本があることが分かりました。その中の市蔵氏はまさにレジェンド、日本の食文化を変えた人でした。
それから2年間、インターネットや、国立国会図書館でソーセージの歴史と大木市蔵氏のことを調べ、また横浜の大木ハムや大手ハムメーカーの展示会にも行くなど、地道に準備してまいりました。
そして今年私たちの上部団体、千葉県商工会連合会から「若手後継者等育成事業」として予算をいただき、市蔵氏のゆかりのある事業所への視察や、復刻版ソーセージの研究開発に着手できるようになり、大木公一氏はじめ江戸清さん、田尻手作りハムさん、播州ハムさんのご協力により、本日を迎えることができました。
関係者の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
大木式というにはまだまだですが、今後も前進していきますので、ご指導ご鞭撻をよろしくお願い致します。
本日、当時の横浜大木ハムに勤めていた方から、その当時の手ぬぐいをいただきました。大切に保管してまた次回の「大木市蔵展」で展示させていただきます。
本日はありがとうございました。
こちら播州ハムさんでお預かりした資料です。
昭和37年の胸像建立式典の写真、大木ハムの商品に使われていたラベル、そして当時の大木ハムのパンフレットです。
ラベルには「千葉工場謹製」とありますので、当町(当時は光町)の工場で製造された製品のものであったことが分かります。
同じように、播州ハムさんや、竹岸ハム(プリマハムの前身)さん、その他当時の営業されていたハム屋さんのラベルもあります。
(余談ですが、プリマハム創業者の竹岸政則氏は横浜の大木ハムで修行中、横芝出身で大木ハムに務めていた川島ゆわさんと結婚し、金沢で竹岸ハムを創業、順調に業績を伸ばし日本でも有数の食肉加工会社、プリマハムとなります。)
そしてパンフレットには貴重な記述がありました。
「小店主日本人として初めてソーセージの製法を始め、其の普及の為消費せる資本は其の額弐拾萬円以上なり、養成せる技術者数十人、北海道より天津に至る地域に分在せり、また大学その他公共的講習会にて講習せる人員万余を数ふ」
これでソーセージ伝来の歴史が繋がった気がします。
他にも手持ちの豚肉加工関係の資料と合わせて、今後ソーセージ伝来の流れについてまとめていきたいと思います。
なお、胸像建立式典の写真は、引き伸ばして1枚を市蔵氏のご親族にお届けし、もう1枚は11月16日の横芝光町産業まつりにてお披露目する予定です。