「ローマイヤーのオーナーは大木市蔵だった?」

アウグスト・ローマイヤーって知っています?

皆さんがよく食べるロースハム、考案したのはドイツ人のアウグスト・ローマイヤー(以下、「ローマイヤー」という人なんです。
ローマイヤーは第1次世界大戦、青島で捕虜になり、久留米の捕虜収容所に連れてこられます。大正9年に開放になり、ドイツで食肉加工の職人であったローマイヤーは東京の帝国ホテルに就職、その腕が確かであったことから、出資者がつき大正10年に独立、山の手線大崎駅の南の南品川三つ木というところに、工場を構え「合資会社ローマイヤー・ソーセージ製作所」としてスタートします。製品は確かなもので取引先を順調に伸ばしていきますが、突然悲劇が訪れます。
大正12年に9月1日に起きた関東大震災です。東京にあったローマイヤーの工場も被災、ローマイヤーは保管してあった製品を「日本にいさせてもらっている恩返しだ、皆さん食べて下さい」と被災者に配ります。奥さんのフサさんも大鍋にお湯を沸かしスープを作り振る舞いました。
しかし、なんとそのことを「なんで会社の商品を無料で配ったんだ、売り物だぞ」と出資者から咎められてしまいます。
ローマイヤーは耳を疑います。考え方が違う、この人達と事業を続けるのは無理だと判断、当時の荏原郡品川2丁目五日町に土地を借り再出発します。
そんな、苦労をしたローマイヤー、どういう訳か大正14年、東京銀座並木通りの対鶴ビルに直売店を出し、その地下にレストランを開くことになります。銀座への出店ですから大変な資金が必要だったはず、どうしたのかという疑問がありましたが、これに関して貴重な資料を見つけました。出典は大正13年8月に中央畜産会より発行された「畜産と畜産工芸第11巻8号」です。

1576_660583600748175_2227286734272113930_nこの号に大木商店の広告があり、「ローマイヤーを大木商店に合併し、市蔵が経営を取り仕切ることになった」との記載があります。大木市蔵が出資者だったのか?
この合併されたローマイヤー(事業所名)とは、大崎の合資会社ローマイヤー・ソーセージ製作所なのか、再独立後のローマイヤーなのかは、現状では不明ですが、この話のやや前のいきさつ(http://ham-sausage.com/?page_id=1262)から後者が有力ではないかと考えられます。

なお、ローマイヤー氏の加工技術は、日本における4つの加工技術の流れの1つ、ローマイヤ流と呼ばれています。(その他の3つは大木流、畜産試験場流、鎌倉ハム流)

ローマイヤーについてはこちら
http://www.lohmeyer.co.jp/r_story.html
ローマイヤーレストランについてはこちら
http://nihonbashi.stardining.jp/

ローマイヤーの生涯については、シュッミット・村木真寿美氏の著書、「ロースハムの誕生 アウグスト・ローマイヤー物語」を参考にさせていただきました。

日本におけるソーセージ発祥の地は横浜だった。

日本食肉加工協会発行より昭和45年10月に発行された「食肉加工百年史」においても、今日肉製品と呼ばれているハム、ベーコン、ソーセージ類の製造が日本でいつごろから開始されたかは明確に知りがたいとされています。

資料によれば大木市蔵は明治45年に横浜でソーセージの製造を始めていますし、大正3、4年頃には神戸や長崎、久留米などでも製造が行われていたことが農商務省職員であり畜産試験場の技師であった飯田吉英氏の調査によっても判明しています。

また官の側では、明治41年から東京駒場にあった月寒種畜牧場渋谷分場(通称畜産試験場)おいてソーセージの製造に関する研究が行われており、明治43年には飯田吉英氏によりアメリカ式ソーセージの製法が公開、講習会も開催されます。

一方で千葉県習志野市は、大正7年、当時習志野市にあった習志野俘虜収容所にいたドイツ人捕虜が、飯田吉英氏に10日間に渡りその製法を公開したことから、ソーセージ伝来の地、ソーセージ製造発祥の地としてPRしています。

このあたりの歴史を整理したく調査していたところ、国立国会図書館のマイクロフィルム資料に飯田吉英氏による貴重な記述がありました。以下引用します。

「肉食問題の解決とソーセージ」畜産試験場 飯田吉英

ソーセージ(Sausage)と云ふ言葉は英語であって、佛國ではソーシーズ(Soucisse)、獨逸では(Wurst)ヴオスト(中略)と呼んで居る。従来我が国では腸詰と呼んで居たが、この腸詰と云う言葉は潔癖ある我國人には適していない。やはりこれは英語読みにソーセージと云ふ方が感じが好く又通りが好い様である。支那では香腸と呼んで居る。我國でソーセージを製造し始めたのは横浜在留の外人で、明治20年頃から漸次京濱間の内外人の間に売込まるるようになった。一般の人が着目する様になったのは全く最近の事實でこれは日独戦争後独逸俘虜の在留するものが製造を開始したることが大なる動機である。併しながら一般から言へば未だソーセージがどんな肉であるかを知らない人が大多数である。これを全国に普及する様に努力することは肉食奨励上目下の急務と考へるのである。
(出典「畜産と畜産工芸」第10巻11号 中央畜産会 1924年(大正13年))

飯田吉英氏は官の側におけるハム・ソーセージの第1人者。ハム・ソーセージに関する文献のほとんどは、この方の調査結果が基礎となっているのですが、上記の部分はすっかり埋もれてしまっており全く取り上げられてきておらず、今回当会の調査によって判明しました。

外国人により、横浜でソーセージの製造が始まった20数年後の明治45年、ドイツ人マーテンヘルツより大木市蔵にドイツ式ソーセージの製法は受け継がれ、そこからさらに日本の気候、日本人の味覚に合うよう研究され、日本に広まっていき、その食肉加工法は大木流と言われています。

昭和12年発行の大木ハムのパンフレットにある一文、「小店主は日本人として初めてソーセージの製造を始め」の部分につながっていきます。

なおソーセージの歴史に関しては参考資料メニューの中で取り上げていますのでご覧ください(今後年表化してこちらのサイトに掲載したいと思います)。

 

 

「復刻版大木式ハム・ソーセージ」お歳暮ギフトとして受付開始です。

約1年半の期間開発を行ってきた大木式ハム・ソーセージ、本日よりお歳暮ギフトとしてリリースいたします。

昨年度は昭和8年に発行された大木市蔵氏の著書「実用豚肉加工法」に基づいた製品の復刻を目指して活動していましたが、まだ冷蔵庫も普及しておらず、国産ハム・ソーセージの最大の消費先は一般家庭でなく軍や長期航路の船舶会社という時代背景から、ハムもソーセージも保存性を高めるために塩分も高め、逆に脂肪分は少なめで現代の日本人の嗜好にはちょっと難しいかなという状況でした。

しかし調査により大木ハムにて作られていた製品も時代の流れとともに変化していることが分かり、私たちは先の昭和初期の製品を大木ベーシックとしてジャンル分け、昭和40年代に横芝光町の大木ハムで製造されていた製品を大木クラッシックとして銘打ち復刻させました。

横芝光町産の豚肉を使い、化学調味料は使用せず、素材の味を存分に引き出した製品となっています。同じく横芝光町で戦前よりワイナリーを営む、斉藤ぶどう園さんの無添加ワインとのセットもご準備しましたのでぜひお買い上げくださいますようお願いいたします。発送は12月1日より申し込み順の予定です。

お申込み・お問合せはフードショップいちはらさんへ。(画像クリックでジャンプします)

 

お歳暮チラシ表面

「ソーセージの日」の制定が大反響です。

先にお知らせした通り、11月1日が「ソーセージの日」として日本記念日協会に認定されました。
また「復刻版大木式ハム・ソーセージ」のリリースも同日に設定したことから、あちらこちらから取材を受け新聞にも掲載していただきました。2015.10.29sankei0001

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ソーセージ手作り体験教室を開催しました。

平成27年10月14日(水)、横芝光町立南条小学校で手作りソーセージ体験教室を開催しました。

1・2年生の親子を対象とした家庭教育学級で16組の皆様に体験していただきました。

横芝光町商工会青年部で講師を務めるのはこれで3回目でしたが、慣れが悪い方にでてしまいミーティング不足で運営は若干ばたばたしてしまいましたが、皆さん楽しんでいただけたようでほっとしています。

私たちも子供たちと触れ合えてとても楽しかったです。お声をかけて下さいました南条小学校の先生方、家庭教育学級の役員さんありがとうございました。

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11月1日が「ソーセージの日」として認定を受けました。

最近は色々な記念日がありますが、「ソーセージの日」というものは無く、何とか設けられないものかと当部で検討をしておりました。

kanagawakyoushin2これまでご紹介の通り明治時代からソーセージの製法に関する文献はありましたが、日本食肉加工協会発行の「食肉加工百年史」においても、日本国内でいつからソーセージの製造が始まったのかは不明であるとされていました。
一方で業界の品評会に国産ソーセージが初めて出品されたのは、大正時代に神奈川県で開催された「第1回神奈川県畜産共進会」にて大木市蔵氏のソーセージ(出品者の名義は江戸清高橋清七氏)であったということで、その開催日を調べたところ、大正6年11月1日でありました。

このことから、この日が日本で初めて国産ソーセージが陽の目を見た日として「日本記念日協会」に申請したところ、無事認定されました。
ちょうど私たちの大木式ソーセージのお歳暮ギフトのリリース日もその日を予定しておりこれ以上ないタイミングでの認定です。


記念すべき「第1回ソーセージの日」となる今年の11月1日、皆さん是非ソーセージを食べて下さい。

実は我々すでにロゴを作っていたりします。(笑)
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【日本記念日協会さんのサイトはこちら】
http://www.kinenbi.gr.jp/

「大木式ソーセージ復刻プロジェクト」商品化に向けての方向性が決まりました。

8月18日(火)午後6時より横芝光町商工会館会議室において今年度中の商品化に向けての打ち合わせ会議を行いました。

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8月18日(火)会議の様子

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他社製品の試食

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意見交換

まず、今年度の視察やマーケティングの報告と、これまで作ってきた試作品、視察先の製品、イベント出店品を下記の3つのカテゴリーに分類しました。

1.大木ベーシック(大正初期~昭和20年)
大木市蔵氏が執筆し昭和8年に発行された「実用豚肉加工法」の製法に基づいた製品。この本は市蔵氏が大正13年より東京大学や東京農業大学はじめ全国各地の食肉加工講習会で使用されたプリント等をまとめた、いわば日本初期のハム・ソーセージの製法をまとめた基礎教本。冷蔵庫も普及しておらず、納入先は長期航路の船舶会社や軍であった時代背景から、保存期間を高めるべくハムは塩味がなり強く、またソーセージについては脂の配合料も少なく抑えられており全体としてさっぱりとした味わい。

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大木市蔵氏の著書「実用豚肉加工法」

2.大木クラッシック(昭和21年~昭和60年代初期)
戦後、横芝光町に大木ハム千葉工場が開設されそこで作られていた製品。30年以上の期間があり、冷蔵庫や保存料の普及、交通手段の発達、食糧事情の好転や国民の所得向上により食肉文化の普及により、製品もかなり変化したと思わる。地元では橋場のハム工場(こうば)の製品として親しまれた。市蔵氏のお孫さんである大木公一氏によると山形県長井市の『草岡ハム』様の製品は公一氏が親しんだ味に限りなく近いとのこと。

大木ハム製品の各商標(トレードマーク)

大木ハム千葉工場のラベル

3.大木アカデミック(現代)
大木式手づくりハム・ソーセージの正常進化版。兵庫県姫路市の『㈲播州ハム』様、宮城県大崎市の『田尻手つくりハム』様の製品がこのジャンルの最高峰として、今後我々は目指していかなければならないジャンル。

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田尻手造りハム様の製品

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㈲播州ハム工業所様の社是

会議の結果、私たちが商品化として目指す方向性は以下のようになりました。(5W1H風に)

When(いつ)今年のお歳暮時期に
Where(どこで)横芝光町内で
Who(誰に)町民の皆さんに
What(何を)大木クラッシクを(ハム・ベーコン・ソーセージの3点セット)
Why(なぜ)橋場(地名)のハム工場として親しまれた味をもう一度味わってもらいたい
How(どうやって)直売で

11月の中旬にはリリースできるようピッチを上げて進めていきますので、是非応援をお願いします。

 

 

 

山形県 草岡ハム様に視察に行ってきました。

平成27年7月13日(月)、山形県長井市草岡ハム様を視察させていただきました。

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草岡ハムは、山形県南部長井市の置賜盆地に位置し,朝日山系麓の農村地帯にあります。

この地域では、農家さんは、稲作農業のかたわら養豚を兼業していました。昭和60年頃、豚の価格が下落したこともあり、豚肉を加工することで付加価値をつけて販売しようと加工組合を組織し、ハム・ソーセージの製造に乗り出しました。

kusaoka1(草岡ハム組合長孫田善朗氏、前組合長佐藤晴夫氏から話を伺う)
kusaoka2(真剣に話を聞く土屋部長、市原副部長)

もっとも、ハム、ソーセージ加工の知識と技術がなかったため、宮城県の田尻の手づくりハムに、後の工場長横山裕幸氏が見学に行きました。そこで、大木市蔵さんの娘婿大木尭公さんと出会い、福島県双葉郡双葉町にあったエムオー牧場で、昭和63年3月から2か月間、横山氏は尭公さんから指導を受けます。エムオー牧場のエムは持田(大木尭公氏の旧姓、オーは大木のイニシャルです。エムオー牧場は尭公さんのお兄さんが経営していた牧場でしたが、福島原発事故以降連絡がとれない状態となっています。

kusaoka3 (大木尭公さんからもらった製造器具を持つ横山裕幸工場長)

その後、横山さんは、昭和63年8月まで田尻の手づくりハムでも技術指導を受け、 そして、いよいよ昭和63年9月から草岡ハムは操業を開始します。
横山さんは、尭公さんからの教えを創業から約30年が経過した現在でも忠実に守っています。大木尭公さんは、「教えたとおりにやらない奴が多い」と嘆いていたそうです。
草岡ハムが創業した後も、尭公さんは2週間に1回は、草岡ハムにやってきて技術指導をしてくれたそうです。

草岡ハムでは、ハム・ソーセージの原料となる豚は、地元置賜の農家さんが生産した豚肉を使用しています。調味料は、塩、砂糖、香辛料を使い、添加物は極力抑えています。また、卵、乳、植物性淡白等も使用していません。挽き肉に玉ねぎを混ぜるのが大木市蔵式です。

kusaoka5(横山工場長から製造工程の説明を受ける部員達)

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(燻煙は、レンガ造りの直火型の燻煙室で行われる。使用されるチップは周囲の山で採れる山桜)

草岡ハムの製品は、大木市蔵さんの製造方法を今も守り続けるハム・ソーセージです。

横芝光町商工会青年部は、今回の研修を活かして、大木市蔵式ハム・ソーセージの復刻に取り組んでまいります。

草岡ハムの皆様、ありがとうございました。(文・写真:観光記念部門 上原広嗣)

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農業共済新聞に掲載していただきました。

5月27日(水)発行の農業共済新聞2015年5月4週号の千葉版に、ソーセージ復刻事業の取り組みが紹介されました。

また横芝光町のニュースをお届けできました。ちばNOSAI連の皆さまありがとうございます。

ご期待に添えられるよう、もっと頑張ってまいります。

農業共済新聞 H27.5.27